「空海と密教美術」展

国宝「両界曼荼羅図」(西院曼荼羅)京都・胎蔵界

東京国立博物館で「空海と密教美術」展というとんでもない美術展が開催されている。

なんと展示物のほとんどが国宝または重要文化財という。密教美術の最高峰ばかりが集結したようなな凄まじい展示内容だ。

今までの人生でいろいろな展覧会を観てきたが、今回の「空海と密教美術」展は個人的には10年に一度有るか無いかの展示であると思う。

普段、仕事以外では、あまり日本に帰りたいとは思わないのだが、今回ばかりは、何らかの用事を無理やりに作ってでも日本へ帰ろうかと思わせてくれる。(-_-;)

実は仏教美術、とりわけ「密教美術」には格別の思い入れがある。

かなり昔の話だが、東京の大学を卒業し就職した会社での初めての勤務地が大阪であった。関西にはそれまで旅行でも行ったことはなかった。当時の僕は典型的な「西洋かぶれ」で、外国、とりわけヨーロッパのものは無条件にカッコよく、東洋、とりわけ日本のものは限りなくダサいという価値観をもっていた。(しかしアメリカだけは例外的にダサいと感じていたのは面白い。)

その考えがコペ転、もとい180度変わったのは、初めて京都へ行き、京都駅近くの東寺を訪れた時だった。密教美術の持つ淫靡というか、官能的なな美しさに完全に参ってしまった。そして、その中でも特に興味を引かれたのが、今回の美術展の目玉でもある国宝の両界曼荼羅図だった。その極彩色に彩られた神々の圧倒的な存在感に魅了されたのを今でもよく覚えている。個人的な東洋回帰の象徴として忘れられない作品となった。

ただ残念ながら、僕が観たのはポスターであって、本物ではなかった。しょうがないのでその場でその大きなポスターを購入。大阪に住んでいた2年間、それは僕の部屋に飾られていたのでした。その後もなかなか機会に恵まれず、これまで何百という曼荼羅図を観てきたにもかかわらず、未だに本物は観たことがない。(T_T) 畜生、死ぬまでには絶対観てやる。

大阪に住んでいた2年間は、週末の度に関西の仏閣めぐりに精を出すこととなり、ますます日本の仏教文化の美しさにはまっていった。三島由紀夫を濫読したのもこの頃で、自称アナーキーなロッカーは愛国青年へと変貌したのであった。若かったとはいえバランス感覚のなかった自分が情けなくはある。

驚いたことに、僕は日本に生まれた日本人でありながら、真の日本文化を知らなかったのだ。もちろん九州や東京に文化がない訳ではなく、ある意味最先端の日本がそこにはあるのだが、それはあくまでも欧米化したモダンな日本であって、伝統的な日本文化とは違っていたのだ。そう、京都へやってきて、「Oh、ワンダフル!」を連発する外国人観光客と僕の視点は全く同一であった。日本人であるにもかかわらず。

それは文字通りカルチャーショックとでもいうべきもので、当時「西洋かぶれ」だった僕の中に埋もれていた愛国心を呼び覚ますのに十分であった。生まれて初めて、日本人であることに自身と誇りを感じることができた。そういった感覚は、かなり時間が経過した現在でもまだ残っていて、自分の日本人としてのアイデンティティーの一部には関西の社寺の風景が広がっている。

「空海と密教美術」展は9月25日まで。

国宝「両界曼荼羅図」(西院曼荼羅)京都・東寺・金剛界

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です